1953年から始まったワールド・スポーツカー・チャンピオンシップには、排気量制限が定められていなかったため、メルセデス・ベンツや、アストン・マーティン、ジャガー、マセラッティ、フェラーリなどが大排気量のマシンを投入し、セブリング・ニュルブルクリング・ミッレミリア・ル・マン24時間などのレースに参加していた。メルセデスは1955年のルマンでの事故により、55年以降参加することは無かったが、フェラーリチームは、53年、54年、56年、57年とチャンピオンシップを獲得している。尚、55年にル・マンで大事故を起こしたメルセデスは、レースを途中棄権したが、それまでのポイントにより、55年のチャンピオンを獲得した。57年のシーズン終了後、CSIはスピードが上がりすぎるのを抑制する目的で、58年シーズンからレーシングスポーツの排気量を3ℓまでに制限すると発表した。
フェラーリ社では、開発に先立ち搭載するエンジンの選択に迫られたが、315Sの4カム(DOHC)や、ディーノV6等は開発期間の問題から却下され、コロンボ系のV12エンジンに決定された。これは、少量ながら市販される前提のため、プライベートユーザーの手に渡った場合、DOHCは扱いがシビアすぎるとの見解からも見送られ、SOHCの250GTユニットに決定された。
新型3ℓマシンへの搭載にあたり、それまでの250GTユニットからの改良点は、点火プラグの位置をVバンクの内側から、排気ポート側へ移動、それにより6基のツインチョーク・ダウンドラフト・ウェーバー・キャブレターが搭載可能になった。さらにバルブ径の拡大や、軽量化されたコンロッドやピストンへ変更された結果、最高出力が従来型の240~260bhpから300bhp/7200rpmへ強化された。このエンジンの開発時、カムカバーを旧型エンジンとの識別のために赤く塗っていたため、新型マシンは250TestaRossa(赤い頭)とネーミングされた(250は当時のフェラーリの伝統に習い、一気筒当りの排気量を表す)。250TRと略される場合がある。
尚、TRと呼ばれるモデルはこれ以前に、500TR(ランプレディ設計の4気筒エンジン搭載)がある。シャーシは従来型と変わらず、航空機用の太い鋼管によるラダーフレーム、サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーンとコイル、リアは横置きリーフスプリングのド・ディオンアクスルか、トレーリングアームとリーフスプリングによるリジットアクスルが選択できた(市販型は後者のみ、後者のリアサスペンションは250GTOまで使われた)。初期型のボディはいわゆるポンツーンフェンダーを持ち、グリル脇から切れ込むようなデザインを持っている(主にフロントドラムブレーキの冷却目的)。デザイン及び製作はスカリエッティで、オールアルミニウムによる叩き出しで製作されていた。尚、同じボディを持つ250モンツァと呼ばれるモデルも存在する。
Testa Rossa wikipedia
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