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2012年9月23日日曜日

重瞳(ちょうどう)ってご存知ですか?


重瞳(ちょうどう)とは、一つの眼玉に、瞳が二つある眼のこと。とくに、中国の貴人の身体的特徴として表現されることが多い。たとえば、伝説上の聖王である舜は重瞳だったという。また、資治通鑑などの史書によれば、項羽も重瞳だったという。 明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったというし、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。 日本においても重瞳は貴人の相と考えられ、豊臣秀吉、平清盛などが重瞳だったという伝承がある[要出典]。もっとも、これについての信憑性はきわめて薄く、まともに論じられることはめったにない。物語においては、壇ノ浦夜合戦記で源義経、幸田露伴の『蒲生氏郷』[1]で秀吉が重瞳だったという設定になっていたりもする。 海音寺潮五郎は、水戸光圀、由井正雪などについても重瞳であったという説を紹介した上、「ひとみが重なっている目がある道理はない。おそらく黒目が黄みを帯びた薄い茶色であるために中心にある眸子がくっきりときわだち、あたかもひとみが重なっている感じに見える目を言うのであろう」と論じている[2]。 また、中国の文学者であり歴史家でもある郭沫若は、「項羽の自殺」という歴史短編で、重瞳とは「やぶにらみ」のことであろうと言っている。

 
wikipedia

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